■インパクトな出来事 ■
当時、私は青春真っ直中のピチピチの高校生。
その頃には既にバイクに乗っていましたが、鉄道の旅も好きでした。
青春18切符を使って鈍行列車で目的地に着く様に計画を練って旅して
ました。
高校3年のこの時も貧乏旅行と称して目的地である山口県の山口線へ
向かいました。
私は鉄道好きですが、車両自体の魅力よりも鉄道とその周りの
風景や四季を見て感じる事が好きで、同じ鉄道写真でも私の場合は
少し情景に拘りました。
そして今回のレンズの中に納めたい被写体は山口線を走るSL(C57)。
当時は、C57を撮影する為の旅でもあるのです。駅のホームで鉄道写真を撮る人とは違い、山奥に入ったり
景色のいい場所まで歩き、絶好のポイントを探して大自然の中を走る鉄の塊を撮影するのです。
しかし、重いカメラ機材にテントなどを背負って歩く事はかなりの重労働。
当然高校生の旅ですから、ホテルや旅館には泊まれません。予算も切符代と食費だけです。
ハイカーを使って移動など出来ません。バスは田舎にいくほど便がなく、3時間に1本ってな感じ。
宿代もないので野宿がメインでした。小、中学生の頃は最終の電車がなくなると、よく線路沿いで寝てました。
駅で夜を明かすと、駅員や(当時の鉄道公安官)に補導されるので(何度か補導されたな〜)
駅から少し離れた線路沿いで横になってました。
そんな私ですが、この時は同じ鉄ちゃんである友人をお供にしたのでテントを持参する事にしました。
野宿や駅で泊まるよりかは、プライバシーも守れるので疲れないかと思いました。
(雑魚寝=野宿 テント寝=キャンプかな)
前半は篠目より北のとある川岸でテントを張り、鉄道が間近で見える場所で、川で遊び、飯を炊き、
夜は汽笛に虫の声、最高のキャンプでした。星空がとても綺麗で、今でも印象に残ってます。

で、後半になるこの日は目的であるSLの撮影現場に向かい撮影終了後、今夜の寝場所を明るいうちから
探しました。寝場所は明るいうちから探すこれ基本。
そして、地図とにらめっこしながらとある小さな駅へと
やってきた。小さいとはいえちゃんと待合い室もある。
改札を出ると待合室に野宿禁止の札が目に刺さった、痛い......。
しゃーないな、今日もテントや。
本当は駅で一晩明かすつもりだった。
明日は始発で移動したかったからだ。
しかし、禁止だから仕方がない
マナーを守らない人がいるので、禁止の札が貼られている駅は
少なくない。
渋々と駅をあとに、地図を見ながら歩き出した。
私は必ず旅に持参していた物がある。
それは白地図である。大手の本屋さんで手に入る代物で、ポイントの縮尺がかなりクローズアップされている
鉄道写真を撮る時には、大変便利だった。尚、当時は今の様にナビなどない。方位磁石と地図のみ。
地図通りに進むと田代川に出た。少し川幅は狭いけど、流れがほとんどなく地図上でも細く記入されていた。
昨日泊まった川岸はかなり大きかったので、流れの少ない今回は少し油断してしまったのだろう。
早々にラジオをつけて天候を聴く、今夜は晴れ、明日も晴れ、夕立も無いらしい。夜にはまた満点の星空が
拝めるのかなと思っていた。テントを川岸に張り、大切なカメラの入った荷物をテントに入れて食料は外へ
一休みしたら夕飯の仕度があるからだ。その一休み中に災難は起こった。
うたた寝気分で横になっていたら、なにやら水の流れる音が近づいてくる?ほとんど流れていないはず......。
もしや!予感は的中。顔が一気に青ざめる。
友人は何が起こったか分からない。私一人で騒いでいたのかも。今思えば(笑)
私は小学生の頃、少しだけボーイスカウトに入っていた。その時に教わっていた事が 現実に遭遇している。
とっさに外の小荷物をテントの中に放り投げて、重いカメラの機材を背負い、後の荷物は口で噛んで持った。
その時は既に水嵩はふとももまで来ていてかなりの水圧で、足の裏の砂や砂利が抜けていき、
今にも足を取られて滑りそうになった。
しかし、ここは若き高校生、伊達に重い機材を背負って旅してる訳でもない、足腰には自信があったし
その上、火事場のクソ力を発揮。
来るときには重い機材を背負って、降りるのに苦労した土手も意図も簡単に登りきった。
その頃には、もう腰まで水嵩がありました。
幸いにも川の流れが緩やかな場所だったので、腰まであった水量にも関わらず難を逃れた。対岸側だったら....。
でも、その3〜4分後だったか正直もっと短かった気がするけど、冷静さは無かったのであまり覚えてないが、
また水嵩が急に身の丈まで増して、土手の上にある道路まで溢れてくるのではとビビッタが
その道に倒れ込んで、なかなか動けなかった。腰が抜けた様な感じ?よくわからないけど 
とにかく脱力感が漂っていた。
そして、ズタボロになった私達
私の靴は両方とも流されてしまい裸足。
食料も流された。
幸いにも大事な切符とカメラは無事だ。
友人は三脚と着替え一部流された。
そんな下半身ずぶ濡れな私達は篠目駅へ戻り
一応、落ち着いた。
とにかく助かった。それだけが救いだ。
でも、あとから惨めな思いがこみ上げて来て
なんか、ブルーになっていた。
落ち着くとやたらに腹が減った。
周りを見渡すと、民家が数件
夕方薄暗い時刻の田舎の駅前では
開いてる売店などない。人気も全くないのだ。
当時の貴重な写真、待合室。
惨めな上に空腹と淋しさがのし掛かり、これからここで野宿する私達には辛い状況だった。
塗れたジーパンを脱いで乾かすけど簡単には乾かない。とにかく空腹で寒い。
真夏の夜だけどここは山中、塗れた私達には結構寒い。
なんとか寝ようとするがなかなか寝付けず、真夜中に貨物列車が来る度に怒られるかなと思い
ドキドキしていた。
そして夜明、何処ともなく人が集まって来た。そう、朝のラジオ体操が駅前であるのだ。
急に辺りがにぎやかになり、とにかく人恋しい私達は昨日の出来事を伝えた。
そんな時、おばちゃんがトウモロコシをくれた、そして裸足の私にはサンダルを与えてくれた。
暖かかった、ひとの親切さがここまで暖かいとしみじみ実感した時だった。
そして、真夏の一日がまた始まった。

旅は続行、サンダル姿も悪くはない。若いし、真夏なんだからね。

後日、あの川にも降りてみた。あの時の様な濁流は考えられない静けさが戻っていた。
高校生には高価な靴だったので、諦めきれずに靴を探しに下流へと歩いた
そして、見た。身の丈を遙かに越える、流木の塊が川のコーナーに折り重なっていた。
これを見ていたらこんな川でキャンプしようとは思ってもみなかっただろう。
川幅が急に狭くなっていた所に遠方の上流で夕立があり押し寄せて来たのだろう。
当時、地図を見て気付かなかった若気の至りです。経験値大幅UP!
■20数年ぶりに訪れた2007年5月の状況
ラジオ体操が行われた駅前広場 川沿いの道は拡張工事で当時の面影はない 待合い室、壁は張り替えられてるけど
雰囲気は当時のまま。
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